「価値観が合わなかった」「方向性の違い」「見ている方向が変わってしまった」
いずれもバンドの解散や離婚する時に出てくる言葉です。
価値観のあう人と仕事をすべき、ということを今日は考えてみたいと思います。
■そもそも価値観ってなんなんだ?
いきなり大上段からはじめますがw、
大元をただすと、私は初等教育か、5歳児くらいまでの教育まで遡る気がしています。
つまり、その個人の価値観には、親の、その親の、また親の、という「生まれたときからそうだし!」というその人の中での常識が根底にあるわけです。(私はそう思っている)
だとした時に、仮に会社員になって、たまたま一緒の部署になったくらいの人たちと、価値観なんて合うわけがないのである。
(会社の人事権は個人には全く裁量がないわけであたりまえなんだけど、意外とココ重要なんじゃないかと思っている。)
例えば、「はたらく意義」とか「モチベーション」について話しをする時でも、その相手が働くことを善ととらえているか、必要悪とらえているか、によって当人の全ての言葉の受け止め方が変わる。
この辺の一人ひとりの価値観や琴線というか、どこに触れたら地雷が爆発するかな-、みたいなところを、私達マネジメントは無神経なふりしてつついたりする。
(これ、超コワイ作業なんです、実はw)
■価値観が合わない人と仕事をするとどうなるのか?
個々の価値観が合わなければ(合わないという前提にするならば)、それをある程度のレベルで合わせるようにルールを作らないと組織はカチャカチャになります。
作られたルールを尊守する人(役割)が得意な人が結果としてマネージャー(管理職)になるわけです。
(そもそもマネジメント、という言葉を「管理する人」って勘違いされている事も多いのですが、その話すると長くなりそうなので一旦おいておく。)
ちなみにマネジメントの対語はアントレプレナーシップ(起業家)だと、私は思います。
話を戻して、
価値観が合わない人と仕事をするとどうなるのか?
まず、
・言葉が通じない。(共通言語以前の問題)
・勘どころがずれる。(え!?そこが引っかかってたの??となる)
・ゆえに、そのものの良さが、どうやっても伝わらない。(ことが多い。)
*一旦、お前の説明力不足だろ!?という批判は受け付けませんw。どちらかと言うと説明力は高い方なので。
これを解消するのはなかなか骨の折れる作業です。
日本人の生産性が低いのは、会議が多いからだ、なんて言われることもありますが、まぁ、たしかに納得です。
しかも、そこに「理解しようとする姿勢が欠如」したら、もうどうしようもないですね、、、
というところまで書いて、これはなかなかの大作になりそうな予感すらしてきたので、
今日はvol.1として、一旦ココまでで、終了しようと思います。
つづく。
0コメント