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「方言で世界を語る!-地方発のグローカルプロジェクトを共に創る-」をビジョンに東京-沖縄-北陸を舞台にがんばる「商売繁盛サポーター」高平 聡のブログです。

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記事: 能力開発は自己責任の時代が始まる

GLOBIS村尾佳子さんの記事より。今日も朝からセミナー系の動画を2本見て出勤しました。(いわゆる朝活ですね!?と喜んでみる 笑)最近はほんとに様々なコンテンツが無料で公開されており、そこまで教えてくれるんだ!?と言うようなものも増えてきました。多くのものはどこかで聞いたことのあるお話を自分の中でリマインドさせるためのものだったりしますが、これだけ動画が充実し、見たい時に好きなものが見れるようになれば、テレビを見なくなる人が多くなるのも納得です。さて、記事に戻って「能力開発は自己責任の時代がはじまる」とありますが、それは既にそうなっていて、「全体集合型」の企業研修はその内容という点ではほぼ機能していないのではいかと考えます。マーケット感や技術の変化が激しく、さまざまな手法がニッチなものも含めてどんどん出現してくる現代において、それらを総花的にまかなうようなセミナーや勉強会はいわゆる「薄っぺらい」内容になってしまうのです。最近、ありがたいことにセミナーの講師を複数回ご依頼いただいたのですが、ターゲット設定とテーマの立て方がとにかく難しく感じました。正確に言えば、総花的な基本編のお話などはいくらでもできるのですが、参加していただいた以上は何かを明日から実践してもらいたい、できる限り個別具体的に落とし込んであげたい、と考えた時に参加者の人数の多少や前提として持っている情報やリテラシーによってかなりその専門性など、深掘りする場所が異なるなと感じたためです。では企業はなぜ集合研修を行うのか?また、集合研修に変わるものがあるとするならば企業はどのように従業員の育成をサポートしていくべきなのでしょうか?■企業はなぜ集合研修を行うのか?ひとことで言えば「社長や幹部のメッセージを第三者が代弁することで浸透度が増す」からだと考えます。付随して「社内の共通言語作り」=最低限はここまで知っといてもらわないとお話になりませんよ、というラインの設定でしょう。基本的には組織は伝言ゲームの繰り返し。TOPの方針やビジョンに従って、各ラインの方針や意思決定が行われる。組織が大きくなればなるほどTOPが末端まで熱量を伝えることは物理的に不可能になります。(でも、できればTOPは従業員全員と飲みたいと思ってるし、直接伝え、また情報を得たいと思っている。では、適切な会社のサイズってどの程度なのだろうね?という議論はここではしませんが。)物理的に不可能なものだから、中間に伝言ゲームを執行してくれるマネジメントを置くことになります。しかし、たいていの場合、ここで情報が曲がったり、発信者と受信者の関係性なども含めたさまざまなバイアスがかかって末端まで上手く浸透しないことが往々にして起こります。それにたいして、バイアスがかかっていいない(比較的少ない)第三者の外部講師が、世の中の権威学者の過去の理論を引用しながら、従業員に対して伝えていく。「あれ?学者の●●さんやこの講師も言ってるけど、よくよく聞くと、これうちの社長もいつも朝礼で話してることだな」なんてリンクする。不思議なもので、上司の言ってることは全くメモすら取らないくせに、全く同じことを言っている外部講師の話は一生けんめいにメモをとる部下はたくさんいる。こういう光景を見ると上司と部下の関係性や、その会議体や、いろいろな「ベキ論」みたいな先入観など、とにかく組織内にはいろんなバイアスがかかっていることの証拠だと、私はいつも思って少し滑稽に思う反面、ちょっと寂しくなったりもします(笑)。■企業はどのようにして従業員に能力開発させるべきなのか?従業員が外部で得た知識やノウハウを社内用にカスタマイズし、プレゼンしてもらうことと引き換えにセミナー参加費の補助をするのは一つの手ではないだろうか。「社内用にカスタマイズして」伝えてもらう、残してもらうということがポイントで、セミナーを受講してきた従業員も「学びのインプット」を「振り返り」、「社内のメンバーに伝わるように整理」し、「アウトプット」することで「知識が定着」する。知識定着のプロセス(※1)である、「知っている」から「教えられる」までを実践できて、しかもそれを行うことでセミナー受講料が一部補助される、という、私が従業員だったら絶対に食いつく夢のような内容なわけです。(笑)この施策が機能すれば、例えば今後週休3日制になったり、ノー残業デーをより多く設定するようになって、就業時間外の活動を推奨するようになっていったときに、外で得た知識を、社内に還元できそうなものだし、それが結果的に従業員のスキルアップにつながり、ひいては企業の業績や生産性アップにつながればいいのですが。とはいえ、一つ問題があるとすれば、昔のMBA留学のように社費で学んで、そのままスピンアウトしていく人材も出る可能性はありますが、、、しかし、それはその企業に魅力がなかったということで、また別の対策が必要でしょうね。

コラム:ソーシャルの目的は何か?

どうでも「いいね」、より少数の読者のオフラインの頷き。いいねの総数より、確かな売上。それが事業者にとっては一番必要なものです。この、目的と手段をはき違えるといわゆるSNS疲れを起こすものだと、私は思っています。(完全な自論ですが)日本人はそもそも、奥ゆかしさや、垣間見る、という文化や行動を美化してきた国民です。ネットのコメントなどを見ているとだいたい一部の声の大きな人が発言している事がクローズアップされますが、大部分の日本人はそもそも自分の主張を表に出しません。もっと言えば、マジメな話と正義は日本人は苦手なのです。あからさまにそれらを人前で発言できる人を、私はそんなに多く見た事がありません。それは、企業の会議体などを見ても明らかでしょう。議論のその瞬間には敵だったとしても、翌日はケロっとして一緒にバーベキューをできる様な日本人はそれほど多くないはずです。それが日本人の文化だと私は思っています。立ち戻ると、ソーシャルなどで情報を発信することはとも大事です。しかし、いいねなどのレスポンスがないからイコール反響につながっていないと思うのは早計でしょう。いいねをもらいたければ、そういう発言をすれば良いし、だいたいカテゴリーもわかります。一定数の人、いつも同じ人しかいいねはしていないことも容易にわかります。一方で、いいねは押さなくても、深く頷きながら、そのメッセージを受け取ってくれている、静かなる賛同者も沢山いることも事実です。それらの人たちは確かにオンライン上の効果計測には数値化されません。しかし、来店したり、直接話をした時に「あのブログ見たよ」という言葉はよく出てきます。つまり、この手のコミュニケーションにおいても、すでにO2Oの効果計測ははじまっていて、そこを含めてマーケティングの指標を設定していかないと意味が無くなっていくと考えます。例えばフェィスブックのMAU(月間のアクティブユーザー)は55%程度だそうです。さらにその中で積極的にアクションをする人の割合などどの程度のものでしょうか?これは、小泉進次郎氏の言葉をお借りしますが、200人の聴取全てに刺さる言葉やスピーチなど無いそうです。その中のわずか1人でも大きくうなずかせる事ができれば、それが本当のファンの獲得だと私は考えます。故に、繰返しになりますが、事業者が本当に手に入れたいのは移り気などうでも「いいね」では無く、確かな売上と利益である、ということを改めて肝に命じておき、情報発信の手段の1つとしてソーシャルメディアを扱っていく方がよっぽど健全だと思いますし、私自身もいち事業者として、しっかりその役割を考えていこうと思います。